バウンド・フォー・バウンド
バウンドテニスをはじめ、硬式テニス、マラソン等、トータルアスリートを目指すプロセスを綴っていきます。
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復活
ご無沙汰してます。
3年の空白を経て、復活します♪


3年前、母の病気(末期ガン等)により、バンテ、硬式テニス等のスポーツを全て休止することを決めました。
色んな関わり方が考えられましたが、僕の決断は、「中途半端に継続しない。やるからには全力投球する。」
「それができないのであれば、全力でやれる環境が整うまでストップする」ということ。

そして、平成24年11月20日に、母が66歳で亡くなりました。
たった3年間でしたが、正直なところ、長かったですね。
途中、「何年続くんやろう?」と悩み、苦しんだ時期もあり、永くも感じました。

しかし、母は子への配慮をしてくれたようでした。
3年で済むようにしてくれたようです。

実際には、「5年10年かかるようなことになったら…」と考え、復帰に絶望したこともありました。
そんな中、亡くなる半年前に、医師から「あと半年です。」と言われたことで、不謹慎ながら、身も心も楽になったことを覚えています。
「ああ…やっと戻れる…大好きなバンテができるんや…」

ようやく、平成24年7月からスポーツを再開することができました。
その時の喜びと驚きと言ったら無かったですね。

そこから、ようやく母と向き合うことができたと思います。
最後は、良い看取りをすることができました。

最後の2週間ほど、病院に泊まり込みをしていましたが、母が、人が死に逝くさまを見つめることができたのは、良い経験となりました。
その母は、僕へ様々に大きな影響を与えてくれた人であり、今回はそれらについて書き遺したいと思います。



僕の人格を形成する上で、重要な位置を占めるのが幼少期の生活環境だ。
それは、浪費家の元父親による金銭的に極貧と言えるもの。
しかし、色んな苦しみはあっても、決して不幸だと思わなかったのは、どんなときも前向きで明るい母の生き方、そして教育によるところが大きい。

母は僕に勉強しろとは一回たりとも言うことはなかったが、僕がやる気になるような考え方を提示してくれ、様々なサポートをしてくれた。
その中でも、僕の生き方の指針となっている次のような出来事がある。

僕が小学3年生の時、友達が結構難しいテストで90点以上を取り、ご褒美にゲーム機を買ってもらった。
僕は母にその話しをし、次のテストで良い点を取ったらゲーム機を買って欲しいと言った。

母は次のように僕に伝えた。
「あんたは自分の勉強のために、ご褒美がないと努力できないの?」
「勉強は自分自身のためにするもので、ガンバった結果、良い点を取れたら自分が一番嬉しいんじゃないの?」
「大きくなって、モノにつられて動く人間になるようではダメ。」
「自分自身の中身のために、自ら動けるような考え方をしなさい。」と。

僕は、「なるほど、確かにそうだ。」と感じ、以来その考え方で動くよう意識した。
そうすると、地道な積み重ねを行なえるようになり、一見無駄に思えるようなことも惜しみなく全力を注げるようになった。

そして派生的に、人がやっていることや意見に対して、否定的に入るのではなく、まず受け入れることから入れるようになった。
「人が意見し、行動することは、何かしらの意図があり、要求や課題がある」と考えることができる。
そして、「それがどのようなものか?」と探る習慣がつくようになった。

「山本は褒め殺しをする」と言われることがあるが、僕は嘘を言ったことはない。
人の良いと感じた点は、素直に評価できる。
そして、「それを俺に取り入れたい」と思う。

そんな貪欲なキャラクターが生成され、今の僕として体現されている。
観察し、分析し、方法を模索し、実行し、反省し、また実行する。
そのようなサイクルが自然と身についたのは、母の教育によるものだ。


母は、9人兄弟の末っ子として生を受けたが、親の事業の失敗や戦後間もないこともあり、親元を離れ、5歳で継母に育てられることになる。
継母は、母につらく当たった。
幼少期から家の手伝いをさせられ、勉強もまともにさせてもらえなかったらしい。
それだけに自分の子どもには、そのような思いをさせたくなかったと言っていた。

継母は、実の子どもには良い服と、おいしい食事と、十分な教育を与えた。
母には、それらを与えず、竹ぼうきでの折檻を与えたと。

幼少期の僕が悪さをして叱られ、手も飛んでくるときでも、母は顔を叩かない。
お尻をこっぴどく叩かれるのだが、継母の折檻が影響しているのだろうと感じていた。

母は、子どもの頃、苦しさや寂しさを紛らわすために、いつも歌を歌っていたのだという。
掃除をしている時など、常に声を出して歌を歌っていると、元気が出てガンバれるのだと。

そのため、母は50歳過ぎからであるが、公民館のイベント等のステージで歌を披露する場を与えてもらっていた。
カラオケには、僕も一緒に行くことがあったが、よく歌っている歌は採点システムで90点以上を叩きだす歌唱力があった。

僕も歌が好きだが、クラッシックやインストルメンタルを好きなのは、母が胎教から小学生まで、それらを聞かせていたことによる影響だろう。
お金が無い中でも色々工夫を凝らし、教育を施してくれた。

食育についてもそうだ。
もちろん金銭的に乏しく、給食費の支払いも学校に待ってもらっていたほどなので、メニューとしてはしれている。
ところが、じゃこ等の魚類、牛乳、野菜をできるだけ食卓に並べた。
反対に、肉類はほとんど出なかったが、出るとすれば羊肉で、脂身がほとんどないものを選んでいた。
また、コーラーを飲むことは、骨の成長に支障があると考えていたため、厳禁だった。

それらの影響があってか、小学生の頃は背の順番では真ん中くらいで、もやしみたくガリガリだった。
スポーツの観点から述べれば、小学生の頃は足がそこそこ速く、野球やサッカーでの技術的なセンスに優れていたように思う。
何か皆で始めれば、スタート時点では僕が優位に立っていることが多かった。

ところが、中学3年生でクラブを卒業した後、背が急激に伸び、動きに小回りが利かなくなり、センスが消え失せた。
なので、このころから自分でやってしまうのでなく、周りのプレーヤーを使うことを始めるようになる。
そして、就職してからは体重が増え、パワーがついた。

このように、僕の体型とスポーツにかかる状況は密接に関わりを持ち、繊細な変化を要求してきた。
しかし、大きな病気をせず、今の体格を有することができたのは、幼少期の食事のおかげだろう。
その証拠として、しばらく前に受けたテストでは、体力年齢は20代前半、骨密度年齢は10代の結果だった。
この点でも、母に感謝するところが大きい。



亡くなる当日、いつものように朝になり出勤するため、いったん家に戻る前に、母に伝えておこうと思ったことがあった。
「母さん、俺と賢二(弟)を生んでくれてありがとうな。」
「俺らを育ててくれてありがとうな。」
と言ったところ、母は意識や反応がほぼ無い中で、ひとすじの涙を流して頷いた。

その夜、母は家族が見守る中、母の笑い話で盛り上がっている中、眠るように、逝った。

葬儀のあいさつの時にもお話ししたことだが、
「僕は、母の生き方を誇りに思う。」
「母が、僕らに施してくれたことに感謝する。」
「そして、これから一生懸命に生きていく。」


この元日で、僕は41歳となった。
新たな生を受けたような新鮮な気分。

僕は復活する。

みなさんとともに、また楽しく充実した時間を感じたい。
ともに過ごせる時間を幸せなことだと感じることができるように。

これから、よろしくお願いします。



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硬式:硬式&バンテ2種目全国制覇!
平成21年1月27日。
硬式テニスにおける当面の目標を達成した。
それは、西日本制覇&全国制覇!!

硬式テニスを始めて4年。
「5年以内に何でもいいから、大阪でNo1を取る」ことを掲げて取り組んできた。
それは突然、意外な形で達成!


第1回テクニファイバー&エルグカップ。
それは、昨年まで「ヘッドカップ」という大会名で開催されていた、全国のテニススクールによる日本一を決める大会。
予選は全国5地区で行われ、参加スクールは147、参加スクール生は6,000人を超える。
この大会で地区予選で優勝するとグアムでの決勝ラウンド「日本一決定戦」に出場できる。
予選第2ラウンドからはチーム戦で行われ、男子ダブルスと女子ダブルスの2試合の勝敗で勝負を決める。


参照URL : Tennis PR Web 
         ・
Tecnifibre & erg Cup 大会報告(T.Tennis2009春号)
         ・Tecnifibre & erg Cup 日本一スクール決定
         ・Tecnifibre & erg Cup西日本地区本選大会結果


予選第1ラウンドで、男子ダブルスで優勝した西川さんと僕。
そして、女子ダブルスで優勝した池田さんと高村さん。
このメンバーで予選第2ラウンドから決勝ラウンドまでを戦った。
予選ラウンドから決勝ラウンドまでの結果は次のとおり。


【予選第2ラウンド:西日本代表決定戦(トーナメント戦)】
 ① 6-3
 ② 6-2
 ③ 6-1
 ④ 6-1
 準決勝 6-3
 決勝 6-1

【決勝ラウンド(リーグ戦)】
 ① 3-6 VS TOPインドアステージ亀戸
 ② 6-4 VS インドアテニスセンター・ウィング大谷地校
 ③ 6-5 VS 九州国際テニスクラブ
 ④ 6-4 VS A・Iテニスクラブ


すべてのゲームが苦しかった。
さすがにどのチームも強い!
特に決勝ラウンドの1戦目の相手は、最強だった。
僕の調子が上がらず完敗。
正直、2試合目以降に対戦したかった相手。
もっと勝負を楽しめただろうに、勿体なかった…

試合もスリリングで楽しかったが、試合後に彼らと話しができたのも良かった。
その中でペアのお一人が、大会の前半時点で「優勝はウチか、あなたのところ(カンカンアリーナ)でしょう」とおしゃって下さっていた。
実際に接戦となり、彼らのチームが準優勝。
僕は彼らともう一度やりたいので、バンテの遠征で関東に行った際には、再戦を申し込もうと目論んでいる。
そして雪辱を晴らしたい。
それほど彼らとのテニスは、刺激的だった。


2試合目以降は、体も温まり、内容も良く、順調に勝ち星を重ねることができた。
しかし、最後の試合は、炎天下において体力はもちろん、精神的にもアウトしそうになる。
尋常な暑さではなかった。
いうまでもなく、日本では真冬だ。
体が真夏の状態にびっくりしているような感覚。
どのペアもコンディショニングに苦しんでいる。

そんな中で僕らは、ペアの西川さんと常に声を掛け合い、死力を振り絞って勝利を収めた。
最後の2試合は技術云々ではなく、「勝ちたい」という気持ちのみで戦っていた。
その気持ちの重さにおいて、我々ペアが日本一だったことは自信を持って言える。

そして、女性ペアが素晴らしい結果を残してくれたというのが大きい。
男ダブでは、お互いサービスが良いので、ゲーム差がつきにくい。
そこを女ダブでポイントを稼いでくれたところがあり、僕らは気持ちにゆとりを持ちながらゲームを進めることができた。
ホント女ダブペアには感謝×感謝です♪


同一年度内で、2種目制覇を成し遂げたことは、非常にうれしいこと。
この2度と訪れないチャンスを確実にものにできたのは、素晴らしいこと。

そして、僕にとって初めての海外。
異文化に触れ、日本語のない世界を経験できたことは、とても楽しいものだった。
西川さん&高村さんは英語ができ、ホテルスタッフ達とスムーズにコミュニケーションをとっていた。
その様子は、めっちゃカッコいい♪

僕も積極的に英語で会話を試みた。
現地人にバカにされたりもしたが、たいていの外国人はフレンドリーで、気さくに会話に応じてくれる。
知ってる単語を並べるとコチラの言いたいことは理解してくれる。
聞き取りが難しかったが、楽しい時間だった。

また、レディーファーストだったり、ドアを開閉時に人の往来があれば開けて道を譲ってあげることは、自然なマナーとして行われる。
さりげなく行われることが、僕自身とても気持良く感じた。
これは、日本へ帰ってきてからも実践しているところだ。


あと、僕らが大会中に体力が尽きてしまったのには、ちょっとしたイイワケがある。
大会前日にマリンスポーツをしようという提案があったが、僕は現地に行くまでは断っていた。
ケガしたり、疲れが残ったりして、試合に悪影響を及ぼすのが嫌だからだ。
こんなとこまで来て万全で試合ができずに負けましたっていうのは、自分にとって度し難い行為。
必ず後悔する。

でも、僕は弱い人間だ。
誘惑に負けてしまった。
しかもその中でジェットスキーを20分程体験したが、不器用な僕は1回も立てず…
女性陣は早々と立って、波乗りの気持ち良さを満喫している♪

僕は、この手のスキー、スケート、水泳、鉄棒など足が少しでも地面から離れるスポーツは大の苦手。
おそらく並み以下。
インストラクターの現地人の兄ちゃんもはじめはニコニコして励ましてくれたいたが、最後のあたりでは「アタマワルイ。チトタリナイネ!」を連呼された。
かなり悔しかったが、悲しい現実だ。

終了してトボトボとビーチに戻ると、なんと西川さんも立てなかったとのこと。
同じように現地人にバカにされた二人には妙な安堵感&連帯感が生まれ、「明日は絶対優勝するぞ」という雪辱の気持ちが共有された。
きっと片方が波に乗れてしまっていたら、日本一は達成されなかったであろう。
結果的には、現地人の兄ちゃんのおかげで勝てたのかも。
ありがたいことだ♪

あと滞在中には、僕の天然ブリをいかんなく発揮し、みなさんにはありとあらゆるコトでご迷惑をかけました。
海外まで行って、ゴミ箱をあさったり(お金の入った袋をゴミと一緒に捨ててしまった)…
睡眠時間が少なくてシンドイと言ってるのは僕だけで、「ボクハ虚弱ナ人間ダ」と判明したり…
普段の生活では体験できないことをイロイロと行えたり、感じたり、教えてもらえたりと、メッチャ楽しかったです。
そして、全国制覇を得ることができ、もう最高でした!

池田さん、高村さん、西川さん、ホントにありがとうございました。
この素晴らしいメンバーで、日本一を達成できてホンマ良かったです!

そして、また新たな目標に向かってガンバっていきましょー♪
今後ともよろしくお願いします。
m(_ _)m


バンテ:再び、世界一へ  vol.6
~決勝、平野さん(石川)との対戦から~

ギャラリーの方々には、あまり面白みのない決勝戦になってしまったかもしれない。
しかし、いくつかの点で最高峰のスキルを展開している箇所はあった。
それらは次のとおり。

①先述したラリーの中でのチェンジ・オブ・ペース
前回、平野さんが僕の足が動かないことを見越して、いつものようにスピードを上げて打ってこなかったことがあり、それにまんまとハマったというのがあった。

が、今回はそのお返しをさせてもらった。
テンポ・スピン量・球足の長さ・高さの要素を、ラリーの中で一定にしておき、ここぞという瞬間にいずれかの要素をズラす。
それは平野さんにも通用し、ポイントを奪取した。

あと余談だが、このカラクリを指摘したメンバーがいた。
それは、マッサージを施してくれた濱脇 竜介君(高知)。

決勝を観た印象を彼に尋ねた際、彼は真っ先に”ラリー中にペースを緩めて平野さんのミスを引き出した一打が印象に残った”と答えた。
これは観ていてなかなかわかるものではない。
彼の素晴らしい集中力と、類まれなる観点がなせる業だ。


②ボールが回転している様子が見える
これも傍目からはわからないことがら。
僕はバンテ歴11年を超えるが、今回始めて経験した。
その内容は次のとおり。

平野さんとのラリーを繰り返す中で、先述したような縦に長いコートイメージが現れ、次いで平野さんがスモールイメージと化した。
そして遂に、ボールを打つ瞬間、ボールの回転が把握できた。

ラリーのスピードが遅くなっているわけではない。
ボールの回転がゆっくりに見えているわけでもないのだが、回転しているサマが見える。
回転の軸、量を把握することができる。
加えて、心なしか”シュルシュル”と回転音が聞こえてくるように感じた。

ここまでボールが見えていると、何でも思い通りにできる。
ミスする気がしない。
プレースメントやタッチが完璧なので、かなり力を込めて強打してもすべてコートに収まる。
コートイメージが完璧なので、ボールの打点に目線を完全に残しても、コースの振り分けを自在に行える。


その中でも最高のショットとして、こんなのがあった。
平野さんがかなり強打したボールが、僕のフォア側を襲った。
スピードがあり、対処にやや遅れた。
そのため、ボールは既に僕の右肩よりも後ろに入ってしまっていた。
普通に打てば、振り遅れてサイドアウトしただろう。

その対処として、次のように行えた。
①ボールの後ろにラケット面をセット
②ダブルコアスイングを使って、左軸と右軸の入れ替えを行ってボールを放つ。
 (平野さん側から見て、ボールを打つ前は左肩が前になっているのを、打ち終わりには右肩が前になっている。)
③平野さんのクロス側へカウンターエースが決まる

実は3年前の決勝時、最後のマッチポイントで、同じようなことができて優勝を決めることができた。
が、今回はその応用編というか難易度が上がった状況で、3年分の進化を実行することができた。


”これはスゲー♪”
”フェデラーやナダルをはじめとする硬式のトッププロは、こんな感覚、いやこれ以上の感覚を常に有しながら、我々に素晴らしいプレーを披露してくれているのだろうなぁ。”
何てことを感じながら、幸せこの上ない時間帯がしばらく続いた。

が、残念なことに、それはわずか数分の出来事だった。
一度体験したことなので、”もう1回”と努力するのだが、再現しない。

そして、その大会以降、練習中にも現れることはない。
様々な要素がかみ合ってこそ成し得る業なのか、自身のコントロールスキルが拙いのか。


そういえば、もうひとつ過去によく似た感覚を経験していた。
もう5~6年前になるだろうか。
練習中、僕がアドバンテージサイドで、サービスリターンの手番の時の出来事。

相手のサービスを、フォアで踏み込んでリターンしようとイメージし、ややセンター側を空けて、レディポジションを取った。
サービスが放たれる。
既に、自身の意識はセンター側に踏み込もうとしている。
が、視界に飛び込んできたのは、サイド側のアングルを目指しているボール。
””
その刹那、僕の体はセンター側に動こうとしていた僕の意志に反して、ボールに対して最適な動作を極めて自然に実行してくれた。
左足を引き、右足に体重を乗せ、体重移動に従い自然と腕がついてくる。
打点が適切に調整され、体の前でボールを放ち、ストレートへダウン・ザ・ライン。
ノータッチエースが決まった。

この感覚もそれ以降、再現されることはない。
自分の意識に反して体が行動するとは・・・
視覚からの情報により、それまでの経験から危険予知を行うが、脳へ伝達させると対処が間に合わないので、伝達途中で最適と思われる判断を下してしまう。
それは、僕にとって素晴らしい経験であったが、一種恐ろしさも感じた。

僕の判断を待たずに、体が勝手に行動されてはたまらない。
映画でありがちな暴走するコンピュータのようなものだ。
バンテはもちろん仕事や車の運転など、自身が制御不能となるにはあまりにもリスクが大きい。
今では、”やはり滅多に経験しない方が安全だ”と考えている。

しかし、いずれにしても人間の潜在能力というのは、計り知れないものがある。
我々はまだまだ引き出せていない要素があまりにも多いと実感する。


貴重な経験をさせてもらった中で、ゲームは終始優位に運べた。
しかし、どんなにゲーム差が開こうが、相手は怪物平野。
試合が終了するまで、一瞬たりとも集中を切らさない。

そして、最後の瞬間が訪れる。
5-1での完勝!
2年ぶり2度目の全国制覇!!

平野さんの3連覇を阻むこと。
多くの方々が、色々な面で応援をしてくれたこと。
娘のかほちんに「日本一のお父さん」になると約束したこと。
僕自身に打ち勝つこと。
これらを掲げ、臨んだ大会は前回以上に”いばらの道”だった。

そして、ようやく、最終到達点に辿り着いた。
ホッとしたような、やり遂げたという満足感のような、複数の感情がミックスされ、自然と涙が溢れる。


間違いなく、僕自身の全てを出し尽くした。
最後まで対戦相手を尊敬し、そして自分自身を信じることができた。
そのことに大きな満足を得られ、自分が成長できたことを実感する。

バンテで日本一になるということは、競技者として目指す大いなる目標の一つ。
当たり前のことであるが、シングルス全国制覇者は10年で10人以下。
複数年制覇者がいるため、その人数は極めて少なくなる。

佐々木 浩貴選手(東京)が10度。
市川 清文選手(山梨)、小林 大輔選手(神奈川)、平野 学選手(石川)、山本 光洋選手(大阪)が2度づつ分け合っている。
この中から抜け出し、3度目の優勝を果たすのは誰か?
はたまた、鮫島 稔幸選手(宮崎)が新時代を切り開くのか?
いずれにせよ、来年以降も素晴らしい対戦、名勝負が刻まれていくことであろう。


そんなことを思い浮かべている中、ウチのチームの竹本さんから嬉しいメールをいただいたので、一部ご紹介させてください。

”(~省略)
将棋の名人戦では通算5期名人位をとると【永世名人】の称号が与えられます。
ミッチーはあと3回優勝したらOK。
歴史に残る不動の一時代をこれから絶対王者として築いて行って下さい。”

次の目標を明確に示していただいた竹本さんには、感謝×感謝です。
これを励みに、ますますモチベーションを高め、日々の成長を目指して行くことができます。
ガンバリマス!


あと勝った後にわかることであるが、全国制覇したからといって何か変わるものではない。
周りの期待に応えることや、自分の新たな目標に向い、自身を変えて行ける「新たなチャンス」が生まれるのだ。
新たな人との出会いを積極的に図り、考え方や手段を give & takeし、自己の成長する機会を創っていく。
そんな「人間革命」を起こしていくことが僕の命題。

結局は、”自ら考え、聞き、動き、省み、また動く”といったプロセスを適切に実行することが大事なのだ。
”勝って良かった”のではない。
”勝ったから次は何ができる”のかが重要となる。

日本一になった後、いかに自身にプレッシャーをかけ続けることができるか。
しかも競技だけでなく、自分を取り巻く全ての環境から逃げることなく挑戦していく。
僕は、新たな価値観を生み出していく責務が、全国覇者には存在すると考えている。

それらを実行することはそう容易いものではない。
しかし、身近なことから少しづつかもしれないが、生み出していきたい。


僕がバンテ界で偉そうなことを述べることができるのも、勝っている時だけかもしれない。
だから、そのわずかな間に伝えるべきこと、全国上位者が果たすべき役割について考え、積極的に実行していきたい。
加速度をつけた上で次世代のメンバーにバトンを渡す。
そして、ともに力を合わせ、新たなバンテ界を創り上げてゆく。

素晴らしい知恵と行動の連鎖を世代間を超え、紡ぎだしていくことが理想。
その一端を担うことができる立場にいることに感謝をし、これからも努力していきたい。
今後ともよろしくお願いします。
そして、ありがとうございました。
m(_ _)m

バンテ:再び、世界一へ  vol.5
ようやく辿り着いた。
最後の斗い。

昨年の雪辱を果たすべく、執念で立ち上がった。
対戦相手は、やはり平野さん。
2年連続同カードの決勝戦。

”現在のバンテ界最高峰の試合を魅せる。”
”怪物平野の3連覇を断固阻止する。”
これらを実行するために必要な集中力が高まってきた。
心配していた体力的なことも、濱脇君の施術のおかげで復調しつつある。

決勝に臨む状態としては、3年前に優勝したときと酷似している。
前回の決勝のような満身創痍の状態からは脱出できている。
まずは良い形で試合に入れることがありがたかった。


僕は、マトモな状態で1試合単発のゲームをして負けたことがほとんどない。
エキシビジョンマッチや団体戦のシングルスがそれに当たる。
そして、そういう設定のものは対戦相手がエグイ。
平野さんをはじめとするフリー&ミドルの全国シード選手が占める。

そんな中で都合20試合ほどやっているが、平野さんと小林大ちゃんの2回しか負けていない。
勝率は9割を誇る。
なので、”状態さえ良ければ負けない”という自信があった。
そんな中、決勝はスタートする。

実際、平野さんとラリーをしていても、実に気持ちよく打てる。
”コレはガンガン行こう!”と、いつもと違って第1ゲームからスピードを上げて展開した。

しかし、それが裏目に出る。
平野さんのリズムにちょうどハマった。
こちらがテンポを上げれば上げるほど、強烈なカウンターを浴びることになる。
そして、あっさり僕のサービスゲームをブレークされる。

僕の中で、警告音がカキ鳴らされている。
”このままではヤラれる。”
試合前に魅せるバンテをしようと決意していたが、あっさり放棄した。

この辺の切り替えと、選択肢の多様性が僕の長所。
そして、これらのことを瞬時に実行できるように練習を積んできているのであるが、ちょっと後ろめたいキモチがあるのは否めなかった。
”しかし、背に腹は変えられない。”
”勝つための最適化を図る。”

2ゲーム目からは、ギアを2段階下げた。
配球はセンター中心に。
意図としては、相手に打ってもらおうというもの。
相手側から仕掛けてもらって、ミスを引き出す考えだ。
自分から動くのではなく、相手が動くのを待つ。

結果的に、前回同様の戦術を起用することになった。
が、プロセスと目的は全く異なる。
前回のそれは、フィジカルが限界に達していたので、リスクを犯してでもポイントを取るために必要な措置だった。

平野さんに先にコースを変えさせ、そこから①より角度をつけて返す、②オープンコートへ打ち込む、③カウンターを狙うという算段だった。
が、今回は心身ともに少し余裕があるので、①ミスを引き出すための配球、②心理的な圧迫を与える、③後半ギアを上げて引き離すという意図である。
同じタクティクスを実行するにしても、状況が変われば意図も展開も変わるという良い事例だろう。

とはいえ、今回の戦術がリスクを解消しているものではない。
十分危険な要素をはらんでいる。
平野さんに好きに打たせるわけなので、ひたすら耐えることが必要だ。

かつ、配球は甘くなってはならない。
スピン量を多めに、深く深く、センターセオリーを着実に実行。
すると、効果はテキメンだった。

平野さんのリズムにノイズが入り出す。
だんだんと平野さんのイメージが縮小化されていき、彼がいつもより遠くに、小さく見える。
そのためコートイメージが、縦に長く感じられるようになる。
そうなればコチラのものだ。

コートイメージが縦に長く感じられるときは、ストロークが安定しているときなので、変化をつけずに後ろで打ち合っておけばよい。
ミスする気が皆無の時間帯。
無条件にポイントが転がり込む。

ちなみにコートが横に広く感じられるときは、ストロークが前で対処できている証拠。
積極的に角度をつけ、アプローチを放ち、ボレーで決めれば良い。
いずれにしても、良いコートイメージを実感できたときは、そのイメージに応じて最適な行動を取り続ければ良い。
色々やることは愚の骨頂。
流れがこちらに来ている状態なのだから、通用しなくなるまで継続するのが望ましい。

また、対戦相手がスモールイメージ化した場合も同様。
一気呵成に攻めダルマにして良いというサイン。
この機を逃してはならない。
上位選手になればなるほど、そのような状態が続く時間帯というのを短縮できる術を心得ている。
即座に抹殺せねば、こちらがヤラれる。
そのあたりを十分に注意し、より確実にポイントを取り、ゲームを奪取した。


~ To be continued ~

バンテ:再び、世界一へ  vol.4
まこちんとはこれまで数多く試合をしてきているので、お互いに手の内はよくわかっている。
彼とやるときには、こうすれば勝てるっていうものはなく、他の選手と対戦する時のように戦術を立てない。
自分の感覚に任せる。

潜在的に彼は、僕と同レベルの強打、平野さんのような安定性、小林大ちゃんのようなアプローチ~ボレー、鮫島君のようなステップワークといったものを有している。
ただし、それが発現するのは年1、2回。
しかし、そうなったときの彼は手のつけようがない。
僕は、過去彼に練習試合で負けている中で0-5や1-5というのがあるが、”正味の勝負”を挑んでこんなスコアになったのは、平野さん、鮫島君、そしてまこちんしかいない。

他の選手には、負けることはあっても接戦にはなる。
一方的にタコ殴りにあう相手というのは、なかなかいない。
条件的には、僕のサービスを確実にリターンできる技術を備えている相手ということになるだろう。
なので、まこちんに爆発的な可能性があるということを踏まえて、十分ケアしてゲームを進める必要があった。


僕らのゲームを見て気づいた方もいるかもしれないが、僕らの試合内容というのは様々なスキルが満載だ。
しかし、サービス&リターンやストロークのスピードは、あまり感じられなかっただろう。
それは、お互いのトップスピードをよく理解していて、それを互いに狙って待っているからだ。
ここで重要なのは、トップスピードを”正確に”理解していること。

他の対戦者も、もちろんトップスピードに対応しようと待っているが、わずかなギャップが生じている。
我々はそのギャップを利用して、優位に試合を進めている。
例えば、80%のショットで相手に取らせておき、”こりゃイケるぜ”と思わせる。
その中で、85%のショットで誤差を生み出し、ポイントを奪う。
その後、対応してきた場合には、90~100%のショットで引き離しにかかる。

加えて、まこちんと僕が実行している点として、ラリー中の緩急の変化を主導的に行っていることが挙げられる。
そんなことは誰でも行っているように思えるだろうが、案外主導的に実行できている選手は全国でも稀。
多くは相手のラリーの圧力に対応して、やむなく緩まったということが多い。
あるいは、緩く打ったと相手にわかるように打っている。

我々が実践していることはそうではなく、1ポイント取る中での展開として、
①80%でラリーをはじめ、
②85%でミスを誘い、
③90%でペースを上げたラリーをし、
④70%でチェンジ・オブ・ペースを行い、相手がミスをする。
ということ。
例えて言うなら、野球で言うチェンジアップのようなものだ。
対戦バッターにわからないように仕掛けて、牛耳る。

ここで対戦者は、ミスさせられていることを正確に理解しているか、単純に”緩いボールでミスしてしまい、もったいない”となるかの分岐に迫られている。
後者であれば、こちらにとってはシメたものだ。
それをゲームのポイントとなるところで使い、勝利を確実なものとさせていただくまで。
今回の全国では、僕らのコレにハマり沈んでいった選手が続出した。

で、まこちんとの試合になると、この手の駆け引きが前提になる。
最速のショットをむやみに打とうとすると、ミスを連発してしまう。
とは言え、常時90%で打ったところで全て返ってくるので、スピードを上げることで勝負することの意味が薄れてしまう。

したがって、ショットのスピードを落とし、展開&緩急の勝負となる。
このような試合は、非常にスリリングで楽しい。
お互いのショットの一つひとつに意図が注がれる。
まさにラリーによる会話を楽しむかのよう。


また僕らは戦術だけでなく、技術的な部分も似通っているところがある。
いわゆる”プロネーション”と”ダブルコア(2軸)”を使っている点だ。

ストロークでのプロネーションについては、平野さんはじめ、強打を量産するために必要なスキルとして装備する選手が何人かいる。
しかし、プロネーションとダブルコアをセットで使いこなしているのは僕らだけだろう。
誤解がないように付け加えるが、これらのスキルが使えるから強いと述べているのではない。
これらのスキルを状況に応じて使い分ける柔軟性と、効率的な攻撃力の生産性を備えていることが現時点でイニシアチブを取っているということが重要なのだ。
そして将来的には、これらはベーシックなスキルとして全国で汎用されることだろう。

あと、”パレット”と僕が名づけたショットがある。
プロネーションを利用し、右足の引きを使うことで前方に飛ぶ推進力を抑え、強力なスピンを生み出すものだ。
おそらく僕が元祖で、5年程前から使い出したのだが、今ではまこちんの方がうまくアレンジし、活用している。
それぞれのショットについて解説することは、文章だけでは難しいので、また違う形で説明しようと思う。


さて最終的に、彼は周囲の期待に応え見事全国3位となり、大阪にシード権を持って帰ることができた。
ホントに良かった。
よくぞここまでガンバった。
これで南さん(大阪)や山崎君(奈良)もをはじめとする近畿勢の面々が、”次は俺だ”と奮起してもらえるだろう。
そういう意味でも、彼の勝利は大きな意味を持つ。

僕は、今回彼がシードを取る予感を持っていた。
それは彼にも伝えていた。
その根拠は、次のような出来事から。

全国大会直前に大阪府の親睦大会があった。
僕は出場せずに、大会の運営の方に入っていた。
大会終盤、審判の割り振りで手が足りず、試合に入っていない選手は審判に協力してもらえるようアナウンスしたところ、彼は副審を自ら見つけた上で進み出て、度々積極的に協力していた。
繰り返すが、数年前の彼では想像できない状況である。

僕は親睦大会終了後、彼に伝えた。
”俺が嬉しかったのは、まこちんが状況を正しく把握し、周囲が必要としている行動を自分から進んで行ったこと。
今日のそれで、まこちんが全国でシードを取ることを確信した。自信を持って行け。”と。


過去に述べたことがあるが、テニスと日常の決断・行動には、密接な関係がある。
自分の都合で選んで行動する者は、独りよがりなテニスをし、自分よりも弱い者にしかその影響力を発揮できない。
それは格上相手や、ケガや疲労等で自分の状況が悪いときには勝てない結果となって現れる。

一方、周囲のニーズに対応して行動できる者は、テニスにおいても相手と自分を正しく把握し、最適な自己表現を選択できるようになる。
つまり、相手と自分を客観視した上で答えを導き、逆算的にショットやラリーの展開を生み出すことができる。

まこちんは、その入り口に到達した。
そして今回勝ったことにより、本格的にその歩みを進めて行くことになる。
彼はその権利を得たと同時に、その責務を負うこととなった。
本人は意識せずとも、周囲は期待と目標の対象として、まこちんを見るようになる。
彼にとっては、それらから逃げずに挑戦していくことが、本当にバンテをやっていく意味となる。

しかも彼のポテンシャルは、こんなものではない。
まだまだ伸びしろがある。
彼の成長は本当に見ていて楽しい。
ある意味、彼は誰よりも速く、そして華麗に駆け抜けている。
僕も彼と争いながら、全力で駆け続ける決意だ。
互いにガンバろう!


~ To be continued ~



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